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日記
刈谷の地名について

刈谷(カリヤ)の地名の起源は明らかではないようです。

 

 

大宝年間(701年~704年)には亀村と呼ばれており、元慶元年(877年)頃、出雲から移り住んだ狩谷出雲神の名に由来するのではないかと言われています。

 

 

水野忠政の時代に『苅屋』または『刈屋』の字が使われるようになり、江戸時代中期以降に入封してくる土井家の時代になって『刈谷』と称されるようになったとの説もあります。

 

 

現在の衣浦湾から逢妻川を遡上すること約20キロのあたりが刈谷城になりますが、古くはその奥まで湾が広がり、衣ヶ浦と呼ばれ、刈谷と緒川の間は海上約1.6キロもの距離がありました。

 

 

北から流れる境川と東から合流する逢妻川は泉田の南で合流し、湾を形成していたのです。東海大豪雨の際にも泉田のあたりが大きな被害を受けたのは、昔からの地形によるものだったのでしょうね。

 

 

そして、かつては泉田湊が存在し、尾張と三河の境に位置する重要な港の一つとして栄えたそうです。

 

 

長年に渡る土砂の蓄積により泉田湊の川底が浅くなると、南の市原湊(市原神社のあたり)が栄えるようになったそうです。

 

 

市原湊からは高浜湊へ木材・米・酒・木綿等が運ばれていましたが、やはり湊が浅くなって行くにつれ、高浜湊が中心になったようです。

 

 

現在は、元々海であった場所は陸化され、逢妻川と境川が並行して流れています。

 

 

私が子供の頃は、市原神社の周辺の堤防で、よく釣りをしました。あまり綺麗ではありませんでしたが、泳いで遊んでいる同級生もいたくらいです。

投稿日:2020/08/29   投稿者:-
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